う-ちゃんのつぶやき


日々忙しい毎日ですが共働き主婦のつぶやきです。
by guess26
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カテゴリ:母( 10 )

一周忌

今日は母の一周忌を実家で行った。

父が先月は入退院を繰り返して大変でしたが、13時半からお坊さんに来て頂き、
1年経った報告、私たちはこんなことしていたよ、とかいろいろ話をすることが出来ました。

母の葬儀から法要にいつも来て頂いてるお坊さんはとてもいい方で、子供たちにいつも気を使っていただき
この日はクリスマス近いからとケーキを買ってきていただいた。

13日の月命日には母のへのお経は必ず読んでますよといって頂きなんかとても安心しました。

先日辛い出来事がありとても自分が不安定だったので母に縋りたい気持ちでしたから話ができてよかったです。
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by guess26 | 2009-12-06 20:57 |

新盆

今日は、母の新盆をしました。

13時からお坊さんに来ていただいて、仏様になった母の里帰りをしてもらいました。
たくは前回の四十九日ではちゃんと座っていられなかったので、今回は半年たって1年生だし、
座っているよう約束をした。しばらくは座っていたがだめでした。
めいはお経が子守唄のように寝てしまった。

今日は天気がよくてお母さんもうれしかっただろうね!

子供たちは供養のあと公園に遊びに行きたくて連れて行った。
たくは蝉取り。めいはブランコ、滑り台。

夕飯は近所の焼肉屋へ。その道すがら母の知り合いに会いました。
偶然なのかわからないけど、母が会わせてくれたのかなぁなんて思いました。

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たくはこの日実家へ泊まった。おばあちゃん喜んでくれたかなぁ~
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by guess26 | 2009-07-26 23:57 |

告別式の日

12月16日(火)

この日も12月だと思えないくらい暖かいいいお天気でした。

父が朝から何度もトイレに行き、なかなか出てこないので心配で声をかけると
お腹を壊したらしく下痢でつらそうな状態でした。

今日は12時から告別式で14時から火葬の予定でした。
昨日から親戚が関西から来てくれていて控え室に朝から来てくれていたのでたくの
相手になってもらい助かりました。
そして告別式。式も終わり喪主からの挨拶は父はできないと言って兄に頼み、
兄がとっても立派に挨拶をしてくれました。
私は心配だったの挨拶前に大丈夫か兄に聞いたんですが、
書き留めた物もなく、「大丈夫」と兄が言ったので安心しました。
本当に母の気持ちを伝えてくれてた挨拶でうれしかったです。

火葬場が葬儀場から1時間かかるところで(私の家の近くでした)家族と親族だけでいきました。
霊柩車に父と兄が乗り、父の車を私が運転して叔母夫婦、母の叔父を乗せて、
旦那の車に子供たちと叔父が乗り向かいました。
そして火葬場に着き、母とも最後のお別れでした。
あっという間に焼き場の中に入って行ってしまい、こんな身近にいた母の最後の姿を
目に焼き付けました。
そして精進落しとして火葬が終わるまでの時間に会食をしました。
しかしその時父が倒れてしまい、振るえと、目がおかしい方向を向いていて、救急車を呼んで
病院へ。でも母の納骨があったので父の付き添いは叔父に頼み、兄と私と叔母夫婦と母の
叔父とで行いました。旦那と子供たちは家に帰ってもらい子供たちを旦那の両親に預けて
旦那は火葬場にまた来てもらいました。

母の骨。胸の辺りは残りませんでした。ガンに蝕まれたところです。
足や腕などは太く残っていました。
こんな母の姿を父がもし見ていたらと思うと今では見なくてよかったかもしれないと思っています。看病疲れとストレスと母への思いが大きかったから火葬場までが父の限界だったんだと思います。
子供たちにも見せなくてよかったと思います。たくはおばあちゃんどうなちゃうの、骨になっちゃうのと心配していましたが・・・見ていたらどうなっていたのかなぁ~思います。

私は父の車で父の運ばれた病院へ
兄と叔母夫婦と叔父を旦那の車で病院まできてもらい父に付き添ってもらった叔父を旦那の車でそ葬儀場まで戻ってもらいました。
私は父に付き添い、ウィルス性の風邪と疲労と診断されてほっとしました。
しばらく入院してもらうように父に頼み、病院から私の家は近いので毎日来れるからと言うと
納得して結果23日まで(8日間)入院して回復しました。

この日私は実家には帰らず、兄と母の遺骨だけになって帰って兄も寂しかったと思います。
次の日父の車を実家に置きに行きましたが、兄も疲れて寝ていました。

24日まで忌引きをもらえたので父の退院までバタバタしましたが、あっという間に時間だけは
ながれるんだなぁと思いました。
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by guess26 | 2009-02-14 23:35 |

お通夜

12月15日(月)
とてもいい天気になりました。

会社に葬儀関連のことで連絡を入れて、私一人で実家に向かいました。
子供たちは保育園に預けて、旦那にお通夜の時間(18時)に間に合う様に子供たちと
旦那の両親を連れてきてもらうようにしました。

午前11時に葬儀屋さんが母を迎えにきました。
棺に納める前に母のお清めをするそうです。
これを「湯灌(ユカン)」と言います。
遺体の全身をアルコールやお湯で丁寧に拭き清め、薄化粧して母の旅立ちに着させる服に
(私が選んだ服)着替えさせてくれるそうです。
母が家で過ごせた最後の時、これでもう終わりなんだなぁと辛い気持ちでした。
母を見送り、遺骨と遺影を置く祭壇を葬儀屋さんが作ってくれて、
家族でお通夜に向かう準備をしました。

16時には祭壇ができていると言われたので、16時前に着きました。
父と兄と話し合い、母は花がとても好きで、地域の花のボランティアもして
街路樹に花を植えたりしていました。なので生花で祭壇を飾ってその花を棺に
納めてあげようと決めていたので花に囲まれてすてきな祭壇でした。
思い出の写真も斎場の入り口に飾られていました。

お通夜には本当に大勢の方に来てもらい、母の顔の広さ、偉大さに父は驚いていました。
私の会社の友達、同僚もみなん遠いところから来てくれてうれしかったです。

お通夜も終わり、会食も終わり子供たちも旦那の両親も帰るとき、私は斎場に泊まると決めて
いたので見送りに行くと、たくが「僕もおばあちゃんのそばにいる」と言って利かないので
泊まることにしました。
結果、たくがいてくれて父は気分が紛れたみたいで元気にしていましたが体は限界だったと思います。私もたくがいてくれて救われた気分でした。

おばあちゃんとお別れだね。もっと一緒に遊びたかったね。といろいろたくは話してくれました。
母もたくが側にいてうれしく思ってくれてると思い祭壇の側の部屋で横になりました。
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by guess26 | 2009-02-14 22:03 |

亡くなった次の日

母が亡くなってから2ヶ月が経ちました。

亡くなった日までの記憶は残したので次の日からのこと書きます。


12月14日(日)
母の側で眠って朝が来ました。
雨の一日でした。涙雨になりました。
朝から私の事を励ましてくれていた友達に知らせないとと思いメ-ルをしました。

そして、朝一番に母のお友達が来てくれました。
母の余命の事はお友達には話していなかったのでみなさん驚いていました。
ご近所には父と一緒に知らせに行きました。
隣のおうちの方は「なんで教えてくれなかったの」と私に泣いて言ってくれました。
母は市の地域活動のボランティアをよくしていて、顔が広いといいますか、
40年住んでいたんだから知り合いも本当に多くいました。

そして母の写真を探しました。
葬儀屋さんの意向で母の思い出の写真をお別れに来てくださった方にも見てもらいたい
ということで遺影の写真と思い出の写真8枚探しました。
学生時代の写真とお見合い写真、お友達、父、私と旅行に行った写真。
遺影に使う写真は父が余命が分かってから叔母に相談したら早めに探してあげなさいと
いわれていたらしく決めていたのがあり、1歳になる前のたくを抱っこしている写真にしました。
いい笑顔の写真でした。

私はお昼ごろから子供たちのことも心配だったので家に帰ってきました。
電車の中で一人泣きました。2週間電車で病院まで行き来していたので
電車の中で一人になるといろいろ母のこと考えながら乗っていたので
この電車で行き来することもなくなったんだなぁと思うと涙が止まりませんでした。

家に着いて、たっくんは泣いて抱きついてきてくれました。
子供たち旦那の顔をみて悲しみに耐えらず泣きました。
夕方、実家にいるおばあちゃんの姿をたくとめいには会わせておいた方がいいかなぁと思い
旦那と実家に向かいました。
6歳のたくにはおばあゃんが死んでしまったこと受けとめてくれると思い、
人間の命はこうやって終わるんだよと話しました。
めいには記憶には残らないかもしれないね、きっと。
私も父方の祖母にはめいと同じ位の時に亡くなっていて写真でしか記憶にないので
めいもきっと私と同じ記憶しかないだろうなぁと思いました。
そして明日はお通夜、家に帰りました。
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by guess26 | 2009-02-13 23:40 |

命日になった日

12月13日(土)
父も病室にかけつけたそうです。
痰のからみが取れて、苦しそうにすることは減ったと2時39分のメ-ルでした。
安定したので、父は休憩室で休むと書いてあったので、私も家で横になりました。
パパは酔っ払っていたのでそのままダイニングで寝かせました。
6時37分兄からのメ-ル。
呼吸はかなり早く、痰がからむと咳でむせるみたいで苦しそうだ。
呼吸数が落ちてきているとのこと。

私は子供たちが起きない7時に家を出て病院に向かいました。
パパは酔いがさめていたので子供たちを任せてきました。
心電図を見て母がかなり衰弱しているのがわかりました。
もう、話しかけても意識はなく、私たちの言葉は聞こえているけど反応できない状態でした。
父も兄も夜中側にいて寝てなかったので一旦家に戻り休んでもらいました。
お昼に父がサンドイッチを持って来てくれてお昼交代しました。

14時過ぎに看護婦長さんが来て言いました。
母は目は見えていて耳も聞こえてるだから悲しくて涙がずっとでている状態だと教えてくれました。眠ることができないでいるから痛み止めを入れるかいれないか聞かれて父が入れるように指示しました。眠らせてあげたかったと父は言いました。

それから容態が急変しました。14時半過ぎ、看護師さんに兄を呼んだほうがいいと言われ
父と私は母の側にいたんで心電図の呼吸数が落ちてきているのがわかりました。
兄は15時過ぎにきました。
兄は痛み止めを入れると呼吸数が落ちることを知っていて入れないほうがいいとメ-ルしてきたんですが入れた後でした。
そして15時30分口を開けたまま息を引き取りました。
まだ、手足は温かく死んでしまったなんて信じられませんでした。
「ありがとう」本当にありがとうとしか言えませんでした。
兄は自分のせいだと泣いて叫びました。
それからは母のたっての願いだった「家に帰りたい」と言う気持ちを叶えさせてあげれなかったので病院から家に連れて帰りました。

私は車で父を先に帰らせ、部屋を片付けをしてもらい、兄は母の側にいました。
兄が霊安室に付き添い、私は病室に戻り部屋の片づけをしました。
兄と母は霊柩車で家まで帰り、私は荷物と帰りました。
葬儀社の方が打ち合わせにきていました。
お通夜が15日で告別式が16日と決まりました。
二晩家に居れることになって母も喜んでくれたと思います。
私は晩御飯の買い物に駅前まで出かけお寿司とお菓子と花を買いました。
花屋で店の方に「誰に贈るの?」と聞かれたので「さっき亡くなった母に」と答え
店員の方は気をつかってくれていろんな話をしてくれました。
必ずおかあさんはあなたの側にいるからね、と言ってくれて泣きながら帰りました。
家族でおすしを食べました。
我が家は親戚が関西にしかいなくてみんなに連絡して夜になりました。
家に帰った母に何度も語りかけ、その夜は隣に布団をひいて横になりました。
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by guess26 | 2009-01-16 02:20 |

12月12日(金)

10日(水)は兄も会社に顔を出しに出かけ、父に看病を任せました。
熱が39度近くまで上がっていたそうです。
はぁはぁと呼吸が上がった状態で眠っていたそうです。

そして、11日(木)兄から23:30頃メ-ル
熱は下がったが、夕方呼吸の乱れる状態があり夜中は気をつけたほうがいいと連絡が入り、
兄が泊まってくれることになりました。
私はどうしていいかわからず、子供たちは寝ていたんで洋服に着替えいつでも出かけられるようにそのまま布団入り、携帯を握り締めいた気がします。

12日(金)5時頃兄にメ-ルして病状を聞き、呼吸は落ち着いているとのことでした。
この日、めいも保育園で嘔吐下痢をもらってきていて夜中下痢で起こされ、朝方旦那に
母の病状を話、私は母の側へ行きたい。と行ったら旦那が会社を休んでめいを病院へ
連れて行って看病してくれました。
私も会社を休んでたっくんを早めに保育園に預けて、後悔しないためにも母の病院へ行きました。母はしゃべることが辛い状態で、私の顔を見て「おはよう」と言ってくれました。
熱が下がって苦しい呼吸状態も治まっていました。
時々痰がつまり苦しそうでした。自力で出せなくてかわいそうでした。
パパが居てくれて、たっくんのお迎えも頼めたので17時過ぎまで病院にいました。
めいちゃん下痢がひどかったのも気になっていたんですが、この日はパパの会社の忘年会で会費を払っているからと思い、内心行って欲しくなかったんだけど6時から新宿へパパは向かいました。私は子供たちを寝かせてひと段落してパパの帰りを待ちました。
しかし、帰るコ-ルがあってから1時間経っても帰ってこない・・・
何度電話しても出ない!酔っ払って総武線で寝てしまい、西千葉まで行ってしまったそうです。
帰ってきてダイニングでパパは寝てしまい私も寝られなくなってテレビを見ていたら
13日(土)0:50兄からメ-ル
心電図のモニタ-が部屋に持ち込まれた。と連絡が入った。
酔っ払いのパパに話したら酔っ払ってるのに「行こう」と言いふら付いていました。
こんなパパと車でいけるわけがないし、子供たちを置いていくのも不安だったので
いつでも行ける体制にして兄からの連絡を待ちました。
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by guess26 | 2009-01-15 02:47 |

母の病状

12月9日(火)
11月26日に胸のレントゲンを撮影していて、その写真を見せてもらいました。
左右にかなりの水が溜まりこの水から発熱、痰がでて体力を奪い衰弱していることが
わかりました。

父には貯まっていることを言ってるとドクターは言ってましたが、父は耳が遠くてなってきていて、ドクタ-言葉は聞こえてなかったらしく、貯まっていることをドクタ-からは聞いてないと言っていて私たちにも貯まって無いと言っていたので何故、衰弱してるかやっと母の状態に納得ができました。

11月26日に骨のレントゲンも撮っていて、昨日撮ったもの見ましたが骨に転移していて肩の骨は溶けてきていました。
肩は折れてはいないけど痛いと思うとのことでした。

家族で話し合いこのまま延命処置はせず痛みを取っていかせてあげようと決めました。
あとは母の生命力です。兄は出来るだけのことはしたいと言う気持ちだったので、
私も父も兄に母の力になってくれるようお願いしました。
私は明日から仕事に行くことに決めました。
私は毎日来れば、母も不信感が強くなるのではとおもったので・・・
最悪看取れなくてもこの一週間で話しもできたし、気持ちに整理がついた感じがしたので
そう決めました。

10日・11日は仕事に行きました。
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by guess26 | 2009-01-14 02:28 |

初月忌

母が亡くなって1ヶ月が経ちました。

母が無くなった時の事を忘れないためにここに記録したいと思います。

11月30日(日)に容態が急変しました。前日から高熱が続いていて体力がかなり衰弱してしまったらしく、痰が自力で出せなくなってしまいおかゆだけは口にしていたんですが何も食べれない状態になってしまい、兄からのメ-ルで午前中に駆けつけ子供たちも連れて行きましたが、
ちょうど眠りに付いたところで子供たちをあわせる事はできませんでした。
旦那に子供たちを預けて、母のそばにいることにしました。
ドクタ-に今週が山だと言われたので、会社も休んで母のそばにいようと決めて、
上司の携帯に連絡してしばらく休みたい事話して了解をもらいました。
父も看病の限界だったのです。なので私が来れる10時から16時まで
私が母のそばに、父に代わって兄もお休みをすると決めて、夜中は兄が看病しました。

12月1日(月)から9日(火)
私は母に、「おはよう」と必ず言って病室に入ると「おはよう」返事が返ってきました。
帰ってきたのは9日(火)まででした。
9日まで母のそばにいて、マッサ-ジしたり手を握ってとしきりに言っていたので
ずっと握って寝てしまったこともありました。
兄のメ-ルで「一緒にいる事を楽しもう」と言われて兄の思いと私も同じ気持ちで
母に接してあげようと思いました。余命を知らなかった母に勇気を兄は上げていました。
「頑張るぞ~」と拳を上げていたのは2日(火)でした。

母も少し元気が出てきていたので3日(水)旦那に会社を早退してもらい子供たちに会っていなかったので意識のあるうちに会わせたい思い連れてきてもらいました。
しかしこの日は熱が高くて辛かったらしく、子供たちの声を聞いても不安感を強く感じたみたいで、母を怒らせてしまいました。きっと、子供たちを連れてきたことを不信に思ったんだと思います。ごめんね。

4日(木)このころからは不安感が強くなってきて眠りも浅く、弱気な事ばかり言って
ありがとうとか悔しいとか歯がゆい思いを言っていました。

5日(金)安定剤を多めに入れてもらい私がいる間はよく寝ていました。

6日(土)昼と夜が逆転してしまい夜中起きている状態が続きました。
兄が夜中は看ていてくれて一晩中起きていて、氷を食べていたそうです。
食事はもう取れなかったので水分取るのも氷をかじって取っていました。

7日(日)夜中に痛みが走るらしく痛み止めをうっては寝て、不安感がくると叫んだりもしていたそうです。昼間は寝ていることが多くなったのでこの日は子供たちと公園いったりして過ごしました。しかしこの日の夜、夜勤担当の看護師が点滴の調整がうまくいかず、出ていないことが発覚し、父が切れてしまいました。以前からその看護師には親切心がなく気にかかっていた人らしく、私は会ったことがなかったのでわかりませんが、注意をしたそうです。
そしてこの夜、母は痰が絡んで寝付けないらしく、夜中に不安感で大声で歌を歌ったりしたそうです。そして右肩の骨がポキッと音がして折れた、痛いと言い出したそうです。

8日(月)私が付いていたときに、右肩のレントゲンを撮ってもらいました。
検査の結果を聞きたかったんですが、この日は担当のドクタ-がオペに入ってしまい、オペが長引いていて私の帰る時間に終わらず、結果を聞かないまま帰りました。
母もドクタ-が来ないことを不信に思い「もう私のことなんか見捨ててるんだ」と言っていました。

9日(火)この日はたっくんの保育園での「お別れ遠足」の日でした。
お弁当持たせて行った話を母にすると「よかったね」と喜んでくれた。
側にいる時に私は子供たちの話をいっぱいしました。たっくんは小学校の入学の話をすると
「桜が見たいね」と言って、入学式を楽しみにしていました。
ランドセル姿を見せたかったんですが、選んだランドセルが2月に配送になるため見せてあげたい気持ちと2月まで頑張って欲しい気持ちがあったので2月来るから早く治してランドセル姿見てねと話していました。
めいの話もしておてんば振りを話すと私に似てるとよく言ってました。
そして「3人目は」と言い出して何のことと思ったら私に3人目を生んでくれということを言っていました。しかしこればっかりは・・・もうすぐ40歳だし経済的にも無理だよ~と告げました。
そしてこの日、兄と私は母の容態をドクタ-からちゃんと聞いてなったので聞くことにしました。

つづく
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by guess26 | 2009-01-13 23:11 |

母が退院

実家の母が先月25日~入院していた。
無事今日退院したと連絡があった。

薬を飲みながら様子見るとの事で治ってくれるといいです。
たっくんとまた遊んでくださいね!
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by guess26 | 2007-10-17 15:59 |
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