う-ちゃんのつぶやき


日々忙しい毎日ですが共働き主婦のつぶやきです。
by guess26
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

<   2009年 01月 ( 6 )   > この月の画像一覧

竹とんぼ

たっくんが最近いろんなものを保育園で工作しきます。
e0093173_2572034.jpg


写真は寝る前に「僕の作品を写真に撮って」と言って持ってきたので納めました。
(めいちゃんはおまけで歯ブラシ中です)、
e0093173_2574281.jpg

今回の作品は本人曰く、1時間かけて作成したそう、色もきれいに塗れていたし、ちゃんと飛んでいました。
e0093173_258050.jpg

みんなに「上手にできたね」と言われて帰りの支度そっちのけでお迎えに来るお母さんたちに見せていました。

その間、めいちゃんとお兄ちゃんの帰りの準備ができるまで玄関で待っているんですが、
玄関に毎日食べてる給食の現物が掲載されているんだけどめいちゃんはそれに釘付け・・・
ケ-スの扉を開けて食べてしまいそうな勢いなんだよね
「たべちゃだめよ」と言うとにこっと笑い閉めてはまた開けてといたずらしてます。

こんなお迎えの毎日もあと2ヶ月。
たっくん卒園しちゃうからね。
[PR]
by guess26 | 2009-01-30 02:58 | たっくん

命日になった日

12月13日(土)
父も病室にかけつけたそうです。
痰のからみが取れて、苦しそうにすることは減ったと2時39分のメ-ルでした。
安定したので、父は休憩室で休むと書いてあったので、私も家で横になりました。
パパは酔っ払っていたのでそのままダイニングで寝かせました。
6時37分兄からのメ-ル。
呼吸はかなり早く、痰がからむと咳でむせるみたいで苦しそうだ。
呼吸数が落ちてきているとのこと。

私は子供たちが起きない7時に家を出て病院に向かいました。
パパは酔いがさめていたので子供たちを任せてきました。
心電図を見て母がかなり衰弱しているのがわかりました。
もう、話しかけても意識はなく、私たちの言葉は聞こえているけど反応できない状態でした。
父も兄も夜中側にいて寝てなかったので一旦家に戻り休んでもらいました。
お昼に父がサンドイッチを持って来てくれてお昼交代しました。

14時過ぎに看護婦長さんが来て言いました。
母は目は見えていて耳も聞こえてるだから悲しくて涙がずっとでている状態だと教えてくれました。眠ることができないでいるから痛み止めを入れるかいれないか聞かれて父が入れるように指示しました。眠らせてあげたかったと父は言いました。

それから容態が急変しました。14時半過ぎ、看護師さんに兄を呼んだほうがいいと言われ
父と私は母の側にいたんで心電図の呼吸数が落ちてきているのがわかりました。
兄は15時過ぎにきました。
兄は痛み止めを入れると呼吸数が落ちることを知っていて入れないほうがいいとメ-ルしてきたんですが入れた後でした。
そして15時30分口を開けたまま息を引き取りました。
まだ、手足は温かく死んでしまったなんて信じられませんでした。
「ありがとう」本当にありがとうとしか言えませんでした。
兄は自分のせいだと泣いて叫びました。
それからは母のたっての願いだった「家に帰りたい」と言う気持ちを叶えさせてあげれなかったので病院から家に連れて帰りました。

私は車で父を先に帰らせ、部屋を片付けをしてもらい、兄は母の側にいました。
兄が霊安室に付き添い、私は病室に戻り部屋の片づけをしました。
兄と母は霊柩車で家まで帰り、私は荷物と帰りました。
葬儀社の方が打ち合わせにきていました。
お通夜が15日で告別式が16日と決まりました。
二晩家に居れることになって母も喜んでくれたと思います。
私は晩御飯の買い物に駅前まで出かけお寿司とお菓子と花を買いました。
花屋で店の方に「誰に贈るの?」と聞かれたので「さっき亡くなった母に」と答え
店員の方は気をつかってくれていろんな話をしてくれました。
必ずおかあさんはあなたの側にいるからね、と言ってくれて泣きながら帰りました。
家族でおすしを食べました。
我が家は親戚が関西にしかいなくてみんなに連絡して夜になりました。
家に帰った母に何度も語りかけ、その夜は隣に布団をひいて横になりました。
[PR]
by guess26 | 2009-01-16 02:20 |

12月12日(金)

10日(水)は兄も会社に顔を出しに出かけ、父に看病を任せました。
熱が39度近くまで上がっていたそうです。
はぁはぁと呼吸が上がった状態で眠っていたそうです。

そして、11日(木)兄から23:30頃メ-ル
熱は下がったが、夕方呼吸の乱れる状態があり夜中は気をつけたほうがいいと連絡が入り、
兄が泊まってくれることになりました。
私はどうしていいかわからず、子供たちは寝ていたんで洋服に着替えいつでも出かけられるようにそのまま布団入り、携帯を握り締めいた気がします。

12日(金)5時頃兄にメ-ルして病状を聞き、呼吸は落ち着いているとのことでした。
この日、めいも保育園で嘔吐下痢をもらってきていて夜中下痢で起こされ、朝方旦那に
母の病状を話、私は母の側へ行きたい。と行ったら旦那が会社を休んでめいを病院へ
連れて行って看病してくれました。
私も会社を休んでたっくんを早めに保育園に預けて、後悔しないためにも母の病院へ行きました。母はしゃべることが辛い状態で、私の顔を見て「おはよう」と言ってくれました。
熱が下がって苦しい呼吸状態も治まっていました。
時々痰がつまり苦しそうでした。自力で出せなくてかわいそうでした。
パパが居てくれて、たっくんのお迎えも頼めたので17時過ぎまで病院にいました。
めいちゃん下痢がひどかったのも気になっていたんですが、この日はパパの会社の忘年会で会費を払っているからと思い、内心行って欲しくなかったんだけど6時から新宿へパパは向かいました。私は子供たちを寝かせてひと段落してパパの帰りを待ちました。
しかし、帰るコ-ルがあってから1時間経っても帰ってこない・・・
何度電話しても出ない!酔っ払って総武線で寝てしまい、西千葉まで行ってしまったそうです。
帰ってきてダイニングでパパは寝てしまい私も寝られなくなってテレビを見ていたら
13日(土)0:50兄からメ-ル
心電図のモニタ-が部屋に持ち込まれた。と連絡が入った。
酔っ払いのパパに話したら酔っ払ってるのに「行こう」と言いふら付いていました。
こんなパパと車でいけるわけがないし、子供たちを置いていくのも不安だったので
いつでも行ける体制にして兄からの連絡を待ちました。
[PR]
by guess26 | 2009-01-15 02:47 |

母の病状

12月9日(火)
11月26日に胸のレントゲンを撮影していて、その写真を見せてもらいました。
左右にかなりの水が溜まりこの水から発熱、痰がでて体力を奪い衰弱していることが
わかりました。

父には貯まっていることを言ってるとドクターは言ってましたが、父は耳が遠くてなってきていて、ドクタ-言葉は聞こえてなかったらしく、貯まっていることをドクタ-からは聞いてないと言っていて私たちにも貯まって無いと言っていたので何故、衰弱してるかやっと母の状態に納得ができました。

11月26日に骨のレントゲンも撮っていて、昨日撮ったもの見ましたが骨に転移していて肩の骨は溶けてきていました。
肩は折れてはいないけど痛いと思うとのことでした。

家族で話し合いこのまま延命処置はせず痛みを取っていかせてあげようと決めました。
あとは母の生命力です。兄は出来るだけのことはしたいと言う気持ちだったので、
私も父も兄に母の力になってくれるようお願いしました。
私は明日から仕事に行くことに決めました。
私は毎日来れば、母も不信感が強くなるのではとおもったので・・・
最悪看取れなくてもこの一週間で話しもできたし、気持ちに整理がついた感じがしたので
そう決めました。

10日・11日は仕事に行きました。
[PR]
by guess26 | 2009-01-14 02:28 |

初月忌

母が亡くなって1ヶ月が経ちました。

母が無くなった時の事を忘れないためにここに記録したいと思います。

11月30日(日)に容態が急変しました。前日から高熱が続いていて体力がかなり衰弱してしまったらしく、痰が自力で出せなくなってしまいおかゆだけは口にしていたんですが何も食べれない状態になってしまい、兄からのメ-ルで午前中に駆けつけ子供たちも連れて行きましたが、
ちょうど眠りに付いたところで子供たちをあわせる事はできませんでした。
旦那に子供たちを預けて、母のそばにいることにしました。
ドクタ-に今週が山だと言われたので、会社も休んで母のそばにいようと決めて、
上司の携帯に連絡してしばらく休みたい事話して了解をもらいました。
父も看病の限界だったのです。なので私が来れる10時から16時まで
私が母のそばに、父に代わって兄もお休みをすると決めて、夜中は兄が看病しました。

12月1日(月)から9日(火)
私は母に、「おはよう」と必ず言って病室に入ると「おはよう」返事が返ってきました。
帰ってきたのは9日(火)まででした。
9日まで母のそばにいて、マッサ-ジしたり手を握ってとしきりに言っていたので
ずっと握って寝てしまったこともありました。
兄のメ-ルで「一緒にいる事を楽しもう」と言われて兄の思いと私も同じ気持ちで
母に接してあげようと思いました。余命を知らなかった母に勇気を兄は上げていました。
「頑張るぞ~」と拳を上げていたのは2日(火)でした。

母も少し元気が出てきていたので3日(水)旦那に会社を早退してもらい子供たちに会っていなかったので意識のあるうちに会わせたい思い連れてきてもらいました。
しかしこの日は熱が高くて辛かったらしく、子供たちの声を聞いても不安感を強く感じたみたいで、母を怒らせてしまいました。きっと、子供たちを連れてきたことを不信に思ったんだと思います。ごめんね。

4日(木)このころからは不安感が強くなってきて眠りも浅く、弱気な事ばかり言って
ありがとうとか悔しいとか歯がゆい思いを言っていました。

5日(金)安定剤を多めに入れてもらい私がいる間はよく寝ていました。

6日(土)昼と夜が逆転してしまい夜中起きている状態が続きました。
兄が夜中は看ていてくれて一晩中起きていて、氷を食べていたそうです。
食事はもう取れなかったので水分取るのも氷をかじって取っていました。

7日(日)夜中に痛みが走るらしく痛み止めをうっては寝て、不安感がくると叫んだりもしていたそうです。昼間は寝ていることが多くなったのでこの日は子供たちと公園いったりして過ごしました。しかしこの日の夜、夜勤担当の看護師が点滴の調整がうまくいかず、出ていないことが発覚し、父が切れてしまいました。以前からその看護師には親切心がなく気にかかっていた人らしく、私は会ったことがなかったのでわかりませんが、注意をしたそうです。
そしてこの夜、母は痰が絡んで寝付けないらしく、夜中に不安感で大声で歌を歌ったりしたそうです。そして右肩の骨がポキッと音がして折れた、痛いと言い出したそうです。

8日(月)私が付いていたときに、右肩のレントゲンを撮ってもらいました。
検査の結果を聞きたかったんですが、この日は担当のドクタ-がオペに入ってしまい、オペが長引いていて私の帰る時間に終わらず、結果を聞かないまま帰りました。
母もドクタ-が来ないことを不信に思い「もう私のことなんか見捨ててるんだ」と言っていました。

9日(火)この日はたっくんの保育園での「お別れ遠足」の日でした。
お弁当持たせて行った話を母にすると「よかったね」と喜んでくれた。
側にいる時に私は子供たちの話をいっぱいしました。たっくんは小学校の入学の話をすると
「桜が見たいね」と言って、入学式を楽しみにしていました。
ランドセル姿を見せたかったんですが、選んだランドセルが2月に配送になるため見せてあげたい気持ちと2月まで頑張って欲しい気持ちがあったので2月来るから早く治してランドセル姿見てねと話していました。
めいの話もしておてんば振りを話すと私に似てるとよく言ってました。
そして「3人目は」と言い出して何のことと思ったら私に3人目を生んでくれということを言っていました。しかしこればっかりは・・・もうすぐ40歳だし経済的にも無理だよ~と告げました。
そしてこの日、兄と私は母の容態をドクタ-からちゃんと聞いてなったので聞くことにしました。

つづく
[PR]
by guess26 | 2009-01-13 23:11 |

ボ-リング

お正月も実家に行ったりしていたので、久しぶりにボ-リングへ
e0093173_483332.jpg

いつも行ってるところと違うボ-リング場へ行きました。
(チラシが入っていて安かったから001.gif
このボ-リング場は投げるところからレ-ンに入ってしまって投げるとエラ-になり
倒れてもカウントされず、たっくんは勢いあまってなんどもレ-ンに入りエラ-013.gifパパに指導を受けました。049.gif
e0093173_4114015.jpg

今回はめいも参加。投げる前にボ-ルをタオルでふいてるのを見て、
みんなのを(隣のひとのも)拭いていました。017.gif
e0093173_413830.jpg

[PR]
by guess26 | 2009-01-03 23:07 | おでかけ
ブログパーツ
おすすめ♪


カテゴリ
以前の記事
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧